私はもう中年になるというのに、今頃親知らずが歯の一部だけ歯肉から見える程度に生えてきました。曲がって生えているため、前の歯にぶつかってしまっており、歯医者さんにはこれ以上生えてこないので、うちでは手に負えないので大きな病院の口腔外科に行ってくださいと言われました。
今までの人生で、紹介状などで大きな病院を受診したこともなかったので、怖くて怖くて行く気が起きませんでした。しかし、歯というのは、放っておいても良くならず、特に親知らずは悪くなる一方でうっとおしく、気になって仕方がありません。
恐怖はありますが煩わしい色々な症状から早く逃れたい気持ちもあり、勇気を出して大きな病院に診察だけでも行こうと決意し、紹介状をいただいて受診しました。すると、その病院は私の親知らずのような曲がった親知らずを抜くのが得意な病院だったらしく、「このような抜歯は簡単ですので、なにも怖がることはありませんよ。すぐ終わりますし、もしどうしても恐怖が酷いようでしたら、少し眠ったような状態になる点滴をして抜くこともできますので、そうしませんか」と、先生に言われました。
すぐに終わる上に眠った状態でやってもらえるなんて理想的だと思い、すぐ抜歯の予約を入れました。眠くなる点滴をする場合1日だけ入院になってしまうのが不安でしたが、抜歯自体は私が思ったより恐ろしいものでもないかもしれないと思いました。
手術の当日も、怖いには怖かったですが、臆病者の私にしては冷静を保つことができたと思います。それはやはり、先生が信頼できそうと思えたことが大きいです。抜歯は点滴が始まったら気持ちがふわーっと楽になり、数分ほど口の中を何かいじっていると思っているうちにあっという間に終わってしまいました。歯が抜けた感触すらよくわからないうちに、抜けていました。本当に魔法のようでした。一番歯が痛むときに、お薬やペースト状にしたおいしいご飯を用意していただき、看護師さんが常に気をかけてくれたので、入院生活は快適でした。もう一本抜かなきゃいけない歯があるので、また同じ先生、同じ病院にお願いするつもりです。
2017年12月16日
恐怖の親知らずの抜歯入院のはずが快適でした。
2017年11月15日
結婚記念日より、夫婦で協力した記念日のほうが大切
友人がこの前結婚記念日だったんですが、旦那さんがお花とブランドバッグを買ってくれたと喜んでいました。
旦那さんにお会いしたことがあるんですが本当に優しそうな旦那さんでしたし、確かに花とか贈りそうな人だ。花を贈っても似合う人だと思いました。
その友人も花が似合う美人なので花を贈られそうな女性です。人って顔に出るなと感心しました。
彼女の旦那さんはそういうお祝い事をしっかりやってくれるマメで優しそうな外見をしていますし、友人は友人で花を貰って喜びそうな女性らしい外見をしていますもの。
よかったねー!私なんて夫と結婚した日がいつかすら覚えてないよと言ったら友人はわかる。そうだと思ったと言っていました。
私は結婚記念日を覚えていなそうな顔をしているということですね。
夫との会話の中でたまに記念日はいつか覚えてる?と聞かれることがあるんですが、その度に謝っています。
さすがに相手の誕生日は覚えていますが、結婚記念日は私にとってそんなに大切な日ではないんですよね。
でも忘れられていることに傷つく人もいるんですよね。夫もそのタイプなので私は本来ならきちんと覚えていなければならないんです。
そもそも記念日ってここぞとばかりに欲しい物を買ってくれってお願いしてくるものじゃないの?と聞かれたことだってありましたね。
欲しい物なんて時間以外に何もありません。とりあえず一日が30時間あればそれだけで満足です。
それにそもそも結婚というのは私にとって記念になるような日ではないんですよね。
そりゃあ好きな相手と一緒に暮らせるようになった日なのだから嬉しいのは嬉しいんですけど、たぶんもっと嬉しい日は今後にあると思っています。
人生は長いので、困難を一緒に乗り越えなければならない日がくると思っているんですよ。
その日がきて、無事に協力して乗り越えられたときこそ本当の夫婦だと実感できるというか、その日こそ記念日にしたいななんて考えているんです。
あまり理解されることのない、独特のこだわりですね。
2017年11月07日
アメリカの孤独を描いた画家エドワード・ホッパー
エドワード・ホッパーは1882年に生まれ、1900~60年代に活動したアメリカの画家です。
ホッパーは彼の生きた時代のアメリカの風景、主に1920年代のアメリカの姿を描写しています。
1920年代は「狂騒の20年代」と呼ばれ、世界が好景気に沸いた時代でした。それは1929年に起こる大恐慌によって終わりを迎え、その後第二次世界大戦が勃発するまでアメリカは暗く陰鬱な時代に突入するのですが、しかしホッパーはそれ以前からアメリカの抱える孤独感や絶望感を描いていたと言われます。
ホッパーは一時期イラストレーターとして働いていたことがあり、彼の絵には少しイラストレーション的な雰囲気があります。比較的分かりやすいモチーフ、明快な色で塗り分けられた画面、人物の描き方、情景の捉え方など、ゴッホやモネを始めとして私達がイメージする、いわゆる「芸術的な絵」より、幾分イラストレーションに近い印象を与えます。
ホッパーの描く絵はどれも「光」というものが非常に意識されています。朝日、昼の光、太陽の光、電灯の明かり、窓からもれる光など、様々です。そしてそこには必ず強烈な「影」がセットになって存在しています。建物に光が当たればそれは必ず壁に影を落とし、明るい室内の外には暗い闇が広がっているという具合です。ホッパーの絵を見たら、むしろ光よりもそのいささか不気味な影の方に目が行ってしまうかもしれません。光も暖かみを感じさせるというより、白々とし、虚しさや物悲しさを感じさせます。
1928年の作品<灯台のある丘>には、丘の上にある一軒の家と灯台が描かれていますが、家と灯台に当たる光は寒々しく、影は冷たい青色で、画面にはそこはかとなく不吉な予感が漂っています。
ホッパーの絵に登場する人々もまた、孤独や空虚感を感じさせます。彼らは皆どこか遠くを見つめ、基本的に沈黙しています。話しかけても答えてくれそうには思えません。
ホッパーの最も有名な作品の一つが、1942年に描かれた<ナイトホークス(夜更かしの人々)>でしょう。街角のレストランを舞台に描かれたこの絵は、やはりレストランの中に白々と明かりが灯り、それに対して背景となっている通りの反対側の店内は真っ暗です。画面には一人客と男女二人組の客、レストランのマネージャーが描かれ、マネージャーは男女に何かを話しかけているようですが、二人が答える気配は見られません。もう一人の客はこちらに背を向けているし、男女もお互いのことに関心が無いようです。ホッパーの作中に登場するのは、コミュニケーションを取ろうとしない人々なのです。
ホッパーが描いた孤独感や虚無感は、世の中が好景気に沸いた狂乱の20年代の中にすでに潜んでいたものだったのでしょうか?資本主義社会、競争社会、消費社会がもたらす疲弊感で、彼の絵の中の人々は無表情になっているのでしょうか?
あなたがホッパーの絵を見て何かしら心を動かされるものがあるのならば、それは現代にも彼らが生きた時代と共通する孤独感や虚無感があるということなのかもしれません。
近頃では絵画のリースなども普及しております。皆さんもいろいろな絵画を楽しんでみてはいかがですか。